社會館のこと

京都市伏見区舞台町の交番の横に、このような碑があります。このような文字が書かれています。

2017年に私のところにこの碑の保存活動をしている人達が訪ねて来られ、その碑、そして、その施設について知ることになったのですが、それは、戦争が始まり、寡婦や戦災孤児が増える中、その人達が少しでも困らないようにと、後に府営住宅になる程の広大な土地を地主さんが無償提供され、地元の主にこの地域の地場産業である酒造業の旦那衆が戦争でお酒の生産が難しく、需要も逼迫する中、今にしてそれぞれに約1億円と言われる私財を投じて建てた施設のことです。
記されている文字の口語訳は↓となります。

私のところにその人達が訪ねて来たのはその碑の中に曽祖父の名前があったからです。
本館の建設費を出した者の一人として記されているその曽祖父が、皆さんに出資してもらうに際し、中心的な役割を果たしていたようです。
竣工した時の記念写真があり、その中のどの人が曽祖父か聞かれたのですが、曽祖父と思しき人の顔は見当たらず、後から調べると、曽祖父は昭和20年に亡くなったようで、それはその4年前のことだったので、出席が叶わなかったのではないかと思っています。

曽祖父は篤志家だったとは聞いていて、祖母が、色々他所に出した後に残った分で家計を回さなければならなかったので色々始末しなければならず大変だったとこぼしていたようです。
また、父からは、曽祖父はよく「積善の家庭に余慶あり」と言っていたと聞いていましたが、実際にどんなことをしていたかは知らなかったので、当時76年の時を経て、そのして来たことの一端を知ることになり、とても嬉しく、誇らしい気持ちになりました。

「余慶」とは、そのように、すぐにではなく、回り回って末裔にもたらされるような者なのではないかと感じました。

少し話が逸れました。

何れにしても、その戦時中にこの地域の人達がとった行動は、まさにnoblesse obligeそのものだと思いました。
昔のお金持ちは、決して自分が豊かになったのは自分だけの力ではなく「皆様のお陰」だ。だから、それを必要な時に社会に還元するのは当たり前のことだと思っていました。なので、そんな逸話は各地にあったのだと思います。

公に期待できないのなら、自分達で何とかしてしまう。
それができるところ、分野が強いと思います。
そういう事例が増えたら…。

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