
昨日、オーロラの写真パネルが搬入されました。
その時展示するのか、当日の朝展示するのか迷いましたが、二人でその時すぐに全て展示してしまうことができました。
そうそう。あの、3年がかりになる伏見イベント。
本当は「通し」で見てもらいたく、3回で一つの催しとして考えたくて、伏見の小・中学生、その保護者の人に、地元伏見が舞台のこんな伝統芸能があるのだ、ということをせめて知ってもらいたくて、学校でチラシを配ってもらいたくて、それには京都市教育委員会の後援名義を取ることが必要で、その為には主催者は個人では不可能で、収支が差し引きゼロになり利益が出ない3年分の予算書があれば有限会社でも主催者になることもできたのですが、何となく違うような気がして…というのが非営利型の一般社団法人を作った大きな理由だったのですが、お陰様で、その後援名義の使用許可が11月24日付で下りたと、一昨日、連絡がありました。
一般社団法人は、会員を募って、会費をいただいたり、寄付をいただくことができます。
定款にもそのように、会員を募って云々ということも書いています。
けれど、そもそも、この「目に見えること」というより「数値化できること」いや、「参加人数が多く」て「売上が多いこと」が素晴らしい、という今の世の中の価値観にどうも馴染めなくて。
それって、小間でのお茶会を否定して、大寄せの茶会をいいと言っているようなものにも見え。
そもそも人間関係もサシ(一対一)がベストで人が増えれば増えるほど、話せる中身が薄まることが気になっていて。
多くて薄いことがどんどん増えて、少なくて濃いことが成り立たなくことを危惧しての社団法人設立でもあるのに、なんか、会員を増やす、とか、お金を頂戴します!ということをどんどん言わなければならなさそうなことに矛盾を感じてしんどい思いをしたりもしていたのですが。
昨日、ある、私は存じ上げない、智恵さんのご近所のご高齢の方が、1日のお披露目会に、行きたい気持ちはあるけれど、自分は行けないから、と、参加料としていただくのと同額の協賛金を渡してくださったものを回り回って受け取って、「ああ〜、そうだ、これこれ!!」と。
これまでにも書いたブログにもそのことを書いたような気がして引用しようと思ったら意外とまだ書いていなかったのですが、1日のその時間にしかやっていないイベントにタイミングが合う方、また、それに行ける身体的物理的条件にある方はほんの一部。
でも、応援したい気持ちのある方が出してくださった協賛金で確保した座席に、小・中学生(だけでなく、行きたいけど行けない人…?)を招待することができたら。
そして、お礼状が直接、もしくは私達が間に入る形でその方の元に届き、行ったような暖かな気持ちになってもらえたら。
そんな風に思っています。
あ、この直前のブログに母方の祖父の人生訓「最もよく人を幸福にする人が 最もよく幸福になる」は、自身が父を早くに亡くし、母を助ける為小学生の頃から早朝新聞配達をした時に時々配達先で暖かいものを出していただいた時にその有難さが身に沁みたり、そういった経験があるからこそ。また。そんな経験から会社が小さな頃は、会社でクリスマス会をした時に近くの母子寮の子ども達を招待したという話も聞いたことがあったような気もしたのですが、最近になり、実際にその会に出て、本当に嬉しかったとおっしゃる方と出会って、私も本当に嬉しい気持ちになったり。
やはり父方の曽祖父が「積善の家庭に余慶あり」と言っていたのは本当だと思います。
そして、今は、不思議に思われるかもしれない、そんな、イベントを通した有機的な助け合いが、「当たり前」のことになれば。
私はまず地元、伏見、で、こんなことをしますが、それがあちこちに波及すれば。
なぜか今は「個人」より「団体」「法人」が信用あるかのようになっているけれど、実際には担当者が変われば全然変わってしまうくらい本来、「個人」と「個人」の信頼関係が重要で、実は「ひとり」の力は大きいのにそのことを忘れさせるようになっているけど、それが改まれば、私達の役割は終わるのだと思います。
もし、今上で書いたそれらがそうなっていたら、私はこれを立ち上げなかった。
とにかく還暦を迎えるまでのこの3年間、とりあえず、全力で頑張ろうと思っています。
還暦で引退したいと思える世の中になっていたら最高かもしれません。
